意識の低い自炊

2020-12-13



自炊! なんて意識の高い響きだろう。しかし、この二字が意味する内容はそれを口にする人によって多種多様、千姿万態にして多彩なのである。読者には読者の、自分には自分の自炊がある。自炊には理想像などなく、各人のキッチンや食事の頻度に重視する事柄によって最適化されていくのだ。

多品目を丁寧に作ってインスタに映えさせても自炊、10円の袋麺を茹でて自炊すればこんなに節約できるのだと嘯くのも自炊、うんうんそれも自炊だね。かくも多様な食卓はさながら沿岸部や山間部、南国と北国などと各地で食文化が異なるが如くである。一人暮らしの自炊とはまさに人類文化における最小単位の食文化といえよう。知らんけど。

かく言う自分も学生時代から日々の食事を手ずから賄っている日は少なくない。そこで今日はowl宅における自炊文化について一席ぶって自炊文化の多様性をさらに強調しよう。

黎明期

樹木の切り株から真っ直ぐな蘖が天をつく様子とパスタを鍋に打ち込んで茹でている様子はよく似ている。そしてowl宅の自炊文化に蘖があるとすればそれはパスタである。学生! 貧乏飯! すなわちパスタだ。もし大学生の自炊を象徴するための旗を作るなら間違い無く偉大なる同志パスタの絵が描かれるだろう。パスタといえば小麦粉を練ったものは全て意味するが、もちろんここでいうパスタがロングパスタ、すなわちSpaghettiを意味するのは言うまでもない。

大学生は一人暮らしを始めるとただでさえ浮ついてるところに更に浮力を得て調子に乗りわざわざカレーを作って悦に入る。しかし奴は所詮ハレの食べ物である。だいたいカレーを一人暮らしで作ると一食分で終わらない、昼にカレー、夜にカレー、そして朝にカレーうどんだ。汚れた鍋をスポンジひとつダメにしながら洗う頃には「しばらくカレーはいいかな」という気持ちになる性質をこのターメリック色のご馳走はそなえている。

それに比べるとパスタ、こいつは信用できるケの料理だ。自炊派を気取る大学生はだいたいパスタと蜜月の関係になる。知らんけど。自炊におけるパスタは紛う事なきTier1アーキタイプであり、これに比肩するのは如何に天下広しといえど白米を除いて他にはいない。

デッキの汎用性や飽きの来なさについては白米がやや勝るが、パスタが優越する部分も大いにある。まず、食べられるようになるまでのタイムラグがない。なぜアジアの小国では主食を食うのに洗いものまでして小一時間待つ必要があるのか。外に出て松屋行って帰って来ても辛うじて炊飯器の音色はまだ鳴らない。それに比べるとパスタはせいぜい10分程度で出来る。

またパスタという食べ物が持つ、「何となくお洒落なものを食っている」という満足感も捨てがたい。村上春樹の小説だってことあるごとに登場人物がパスタを茹でているからお洒落感を滲ませるのであって、これがもしオニギリになると俄かに登場人物が山下清でイメージされすぐ女と同衾することもなくなる。やれやれ。

ところで自分のフォロワー諸氏には相当な料理好きが何人か含まれており、彼らはしばしばパスタを自分で製麺したりカレーをスパイスから調合したりする。「得意料理はパスタです!」というのが麺を茹でてソースを作るくらいの作業なら出来るという意味なのか、あるいは自宅に製麺機があって最適な小麦粉を探すところから始めるという意味なのか、やはりその内容にはチリの南北と同じくらい幅があるのだ。

自炊大革命

青春時代のうぶな自炊は就職によって終わりを告げる。学生時代における重要な資源とは金であった。しかし仕事という苦役につくようになると多少なり金には余裕が出来て重要な資源が時間と健康の二つになる。ステージ状に欲求が推移していくためこれを『自炊の欲求段階説』と呼び、その二つも満たされるとインスタグラムに自炊画像を上げて自己実現を始める、という仮説をいま思いついた。

何はともあれ、腐敗した安価主義と炭水化物文化を批判し新たに健康で持続的な自炊生活を創生しようというムーブメントが就職後に発生する。この意識改革はちょうど学生生活の弔鐘が鳴り止み初任給を手にした五月ごろに始まるので五月革命と呼ぼう。無理の効く若さを失ってようやく人々は遅まきながら「ちゃんとバランスの良い食事をしないと不健康になって困る」という事実を『言葉』ではなく『心』で理解する。人類は虫歯が痛くならないと歯について真剣に考えない。

自炊における金、健康、時間は概ねトリレンマを構成する。安く健康的な食事は取れるが時間は犠牲になりやすく、健康的な食事は外注可能だが高くつく。安く手っ取り早い食事は今まさに自炊大革命で批判されている不健康の原因である。もっとも正確に言えば、金と時間が実際には同根だったり、金と一言に言っても食費だけじゃなく設備や能力に依存するのだがここでは込み入ったことを深堀りしないでおく。

ということは、多種多様な各人の自炊文化も『自炊のトリレンマ』のうちどれを重視する政策なのかという観点で大雑把に三分類ができるだろう。ここでは仮に「丁寧な暮らし」「プチブル」「節約飯」と呼ぼう。もちろん我々はトリレンマを解消する大統一理論を常に研究しているが今はまだ志半ばである。

夢のスープ

拙宅はトリレンマ分類で言えばプリブル派と節約飯派を行き来する日和見主義者になる。昼にクリスプサラダワークスに行ったかと思えば、日が沈めばチキンラーメンを茹で始める。なにしろすぐ美味しいのだから。

ちょうど良いので、この辺で鳥瞰気味に見ていた自炊料理についてぐっと具体的に見てみよう。この自炊文化で軸となる料理、それはスープだ、鍋料理だ。

なぜスープや鍋の料理が軸となるのか。自分が自炊に要求するものは安さではなく偏った栄養バランスの修正である。外食で何が偏るかと言えば、やはり野菜だ。正確に言えば塩分や脂肪、炭水化物の過多というところにもあるが、塩分はそれこそさじ加減の問題であり脂肪は茹で料理の方が少なくなる。

だからとにもかくにも、自炊では野菜を中心に食べたい。まぁ肉や魚も食べていいだろう。もちろん炭水化物も多少は食べる必要があるかな。では全部入れよう、これが俺のAlll-in食品だ。

こうして鍋いっぱいに野菜と肉、いくばくかの炭水化物が投入された雑な料理が爆誕する。大雑把にスープの味付けで分類することが可能で「コンソメによるポトフ類型」「鶏ガラや和風ダシによる粥類型」「トマトソースによるミネストローネ類型」「麺より具が過半数を中心のうどんや蕎麦」がよく見られる料理である。かつて黎明期には味噌を軸としたスープ料理も広く見られたものの、塩分量を抑制するのが困難という理由で廃されて久しい。

ポトフ類型は一般に見られるものとほぼ同じであり、違いといえば投入されるショートパスタの量が多く具の種類が少ない。肉類と玉ねぎ、キャベツ、パスタというのが最もよく見られる。ミネストローネ類型もこれとほぼ同様である。なぜ具材の種類が絞られるかというと、玉ねぎを半分だけ使う、というようなやりくりを避けているせいだ。次の自炊に玉ねぎが投入されるとは限らないので使い切りたい、となれば一玉いれざるを得ない、そうすると鍋と胃袋が物理的制約になってくる。結果、多品種を少しずつとは出来ない。

無論、ほぼ毎回のように自炊を行って計画的に食材を消費していくことが出来れば可能であるし個別に処理して冷凍すれば何とかかんとか何とかかんとかで対応可能な問題だと言うことは知っているがやりたくない聞きたくない本当は自炊しとうない。結局は高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に自炊すべく、なるべく毎回食材を使い切る。

粥類型、うどんや蕎麦もあまり変わるところはない。具材が玉ねぎに変わって長ネギになったりするだけだ。野菜と肉と炭水化物を同時に摂取したいというニッチを目指すと味付けがどうだろうと同じような形態に収斂進化していく。

これらはどれもTier1のアーキタイプだが強いて言えばミネストローネ類型だけがやや作られにくい。これはトマトソースという必要材料が缶あるいは瓶という処理がやや面倒なゴミを排出することに起因する。拙宅の自炊文化ではゴミが出なければ出ないほど偉い、出る場合は燃えるゴミで出せるほど偉いという価値観が浸透しているためだ。言うまでも無く包丁を使わずに作れる、洗い物が少ないといった要素も評価される。我々はいつだって可能なら何もせずに料理が出来てほしいと願ってやまないのだから。

例えば、owl自炊文化圏ではしばしば豚肉ともやしを鍋で茹でただけのものが副食として提供される。日本で豚しゃぶと呼ばれている料理と非常に近く、最終的には湯切りされて醤油やポン酢、あるいは塩胡椒で味付けされる。

一般には白米に添えられたりうどんの具材とされるが、この調理法が持つ利点は枚挙に遑がない。まず茹でることで豚肉の脂を除去しカロリーを下げつつ野菜を取るところが偉い、食材の歩止まりがなくゴミがほぼ出なくて偉い、材料が安くて偉い、すぐ出来て偉い、美味しくて偉い。ちなみに、スープ系料理一般に言えることだが牛肉よりも鶏、次に豚肉の方が使われる。カロリーの問題もあるが肉自体の癖が強いので美味しく食べるのにやや工夫がいるからだ。あいつら何であんなにアク出すの? 下拵えなどの手間は避けたい。我が流派は暮らしに根付いた実戦性を旨としており必ず初太刀で仕留める、二の太刀を振るうは即ち敗北に他ならない。

食材

せっかくだから多用される食材について触れておこう。野菜でもっとも多用されるのは玉ねぎ、長ネギ、じゃがいも、キャベツ、もやし、ほうれん草、その他根菜である。近年では近隣のコンビニから安価な冷凍ほうれん草の輸入が増えており、これは単品でも解凍したものに醤油をつけて食される。

この冷凍ほうれん草の偉いところは入手が容易で調理の手間がないだけでなく、安価だ。この安価というのは同じ量の生ほうれん草を買うのと比べて同等かそれ以下だと言うことである。どちらも同じ国産品なのだが冷凍野菜はもっとも収穫量の多い時期に加工されて保存されるのが理由の一つらしい。知らんけど。しかし例えばじゃがいもなどはポテトフライ用に冷凍加工されたものは素材よりもグラム単位で比較してコスト高になり、元々保存が効く食材なので冷凍品には代替していない。

またほうれん草は知っての通り硝酸塩の含有量がやや高く、水で晒したり下茹での必要があるが冷凍の場合は何も考えずに鍋へ投下できる即戦力だ。何も考えずにこれを食べることで一日に必要な野菜量の半分くらいは取れる。

冷凍野菜にせよ玉ねぎにせよ根菜にせよ、保存が効くのは偉い。この文化圏では数日にわたって自炊をしたかと思えば突然飽きて外食が続いたりする。ちょうど天気が日照りを続けたりかと思えば大雨を降らせ続けるのと似ている。自炊欲と秋の空、故に食材はできれば保存が効いて欲しい。

ところで、ここ最近に見られる食材流行の一つには雑穀の利用があり、白米の代わりにもち麦+雑穀が食べられている。これには野菜の摂取量を上げることがどうしても難しいという問題に対して白米よりも遥かに食物繊維が多い玄米やもち麦を白米に混ぜてみたところ、味に大して違いを感じなかったので完全にもち麦100%で食べるようになったという歴史的経緯がある。

今後の展望としては新規の食材にマメ類を検討している。ミネストローネやポトフへ投入したいと思っており、海外では実績ある食材なので味そのものに不安はないが、準備や入手に幾ばくかの懸念があり導入には至っていない。レンズ豆など前もって水で戻す必要がない種を使うことで準備に時間がかかる問題はどうにかなるのだが、想像以上に近くのスーパーなどでこの手の乾物が売っていない。売っていても缶詰であることが多く、これは使用量を調整できない上に燃えないゴミが出るので可能ならば避けたい。

この文化圏で利用されることがある唯一の缶詰はツナ缶である。ツナ缶、これは黎明期から深く文化の根本に志している万能食材だ。先史時代にはこれに醤油をかけただけのもので白米をモリモリ食べるという江戸時代の町民のような食事すら見られた。

ツナ缶がよく使われる料理として、例えばパスタがある。ロングパスタに対してツナ缶と玉ねぎを投入して味付けしたものは簡単な食事として今でも根強い人気がある。また余ったキャベツを適当に食べる方法の一つに、キャベツをざく切りにしてツナ缶と一緒に炒めるというものがある。これはどちらも塩胡椒が味付けに使われる、塩胡椒はポトフやミネストローネ、焼うどんにまで広く使われるポピュラーな調味料だ。他の調味料に比べてやや塩分量を抑えられるという点が近年では評価されている。

終わりに

長らくこのスープ・鍋を中心とする食文化には「食材を何も考えずに投入した結果、鍋いっぱいになって食べ終わるのに一日かかる」といった問題が見られたが、利用する鍋を小さくするというイノベーションを施した結果として大幅に改善された。変態百出、伝統を守るだけではなく様々な変化を生み出さねばならないのだ。変態が百人出るという意味ではない。


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