同僚エンジニアなるもの

2017-11-24



パリ症候群(syndrome de Paris)という言葉がある。小説や映画の影響でフランス・パリに対して「街を歩く誰もがお洒落」「素晴らしい街並み」といった憧れを抱えすぎるために、実際にパリへ旅行や就業で訪れると憧れとはかけ離れた現実の姿にショックを受けて鬱々とした気分に陥る現象のことだ。

これを馬鹿馬鹿しいと笑うだろうか。しかし、自分はそうも思えない。何故なら自分にも身に覚えがある経験だからだ。ただし、その憧憬はパリではなくIT業界の職場というものに対するものだが。

アホみたいに優秀なエンジニアたち

本題を話す前に自分がどうやってエンジニアになったかについて少し触れる必要がある。自分は文系である、完全な文系だ。大学には人文学部しか存在しなかった。そのためプログラミングや計算機科学のような分野について専門的な教育を受けたことは一度も無い。

では、プログラミングを学び始めた大学生時代に何をしていたかと言うと作りながら勝手に覚えて行った。そしてイベントやツイッターで知り合う情報系の学生やエンジニアたちがやっていることを見ていたのだ。

当然の話ながら、出会って来た学生やエンジニアは一人残らず技術が好きだったし、何より格上だった。自分のプロダクトを何かしら持っていたし、場合によっては投資家や政府から援助も受けていたくらいだ。同じ土俵にすら上がれはしない。

自分以外のエンジニア、あるいはエンジニア志望が桁違いに優秀であるという固定観念は何も大学時代に始まったことじゃあない。

自分が中学生だった頃でさえネットを通じて交流を持っていた同世代の友人たちは遥か先を行っていた。既に実用レベルのプログラミング能力や周辺分野に関する知識を持っていて、セキュリティに関するソフトウェアを作って雑誌に掲載されているような連中がザラにいたんだ。この前までランドセル背負ってた連中が、それも今のように知の高速道路が敷かれてない時代にどうやって学んだのか未だによくわからないよ。

一方、当時の自分はと言えばWindowsでVBScriptやHSPを使って短いスクリプトを書くのがせいぜいで、オブジェクト指向もUNIXも覚えることが出来ないような体たらく。今となっては彼らの消息も知らないが、少なくとも一部は第一線で活躍するエンジニアとなったのだろう。そんなことだから自分が徐々に「技術力では遥かに格下だから文系方面のスキルを上手く使うことで差別化を測ろう」と考えるようになるのも無理からぬ話である。当然の成り行きだ。

もう1つの、当然の話

だから自分がエンジニアとして職を得ることになってから頭の中にあったのはソレについてだ。情報学部や他の理工学部出身者と同僚になるからには彼我との実力差をどう縮めるかという心配、そしてお互いに技術について教え合ったり興味深い取り組みについて聞けるに違いないという期待だった。

それがどうやら誤りであるらしいと気づいたのは、同僚になる学生とランチなどで少し話をする機会が増えて来た頃だった。彼らはとても良い人たちで、実際今でも仲良く付き合っているが……自分がそれまでに知り合って来た技術が大好きなエンジニアではなかった。

しかし、それはまだ想定していた範囲のことだ。必ずしもエンジニアが飯の種である技術について必要以上に熱心に追求しているワケではないだろうし、楽しいことは他にいくらでもある。好きじゃないどころか、ちょっと苦手意識を持ってすらいる人がいても不思議なことではない。ただちょっとそういった人たちの人数比について驚きはしたが。

本当に想定していなかったのは、情報学部で専門的に研究していたはずの彼らがプログラミングも計算機科学もよく知らなかったことだ。もちろん、自分よりも 熟知している同期が一人か二人いないこともなかったが、それはつまり1割にも満たないということだ。

未だに理解できないことだが、どうもオブジェクト指向の基本的な概念やスコープの概念さえわからず、下手をするとメモリとディスクの区別もついていないが大学では研究室でプログラムを作り卒論を書いて学位を取ることは可能らしい。

いや、驚くまい。これも考えてみれば当然の話だからだ。自分がそれまで遭遇してきたエンジニアとその予備軍は明らかにフィルタリングされていた。読むに値する技術ブログを書いているとか、プロダクトを作っているとか、コンテストやハッカソンに出て来るとか、そんなことをしている連中というのははっきり言って「普通の人たち」ではない。感覚が完全に麻痺しているからわからなくなっているが、おかしいのは同期ではなく自分とその周辺だ。

計算機科学や情報工学の話をよく理解していない情報学部卒にしても、それほどおかしな存在じゃない。考えてみれば自分の母校でそこらへんを歩いている経済学部4年次を10人ほど連れてきて『資本主義と自由』『経済学および課税の原理』あたりの古典を挙げて読んだことがあるか聞けば誰も手を挙げないだろうし、マンキュー入門レベルの質問をしても半分くらい間違うだろう。○○学部を卒業したということと○○学を少しは知っている、ということは別物だ。上位集団はさておき、平凡な集団においてはよくあることだ。

スポーツ選手、芸術家、エンジニア?

だのに自分がパリ症候群にも似たカルチャーショックを強く受けて鬱々とした気持ちになった原因はもう1つある。どうもそれまで自分は漠然と「エンジニアという職業を、好きで得意な人たちがやる仕事」だと思っていたらしい。

もしプロ野球のチームに野球未経験でピッチャーフライすらロクに取れず、内心では野球をアホらしい競技だとさえ思っている人間が選手志望としてやってきたらどうだろう。とんでもなくあり得ない話に思えるだろうし、やってきた数秒後にスパイクの靴底で蹴り出されるのも当然だろう。例えそれがどんなに下位の貧乏チームだとしてもだ。

スポーツ以外で例えるなら、数年前にドラマ化もされた『アオイホノオ』で有名な島本和彦が連載していた『吼えろペン』という漫画の中にこんな場面がある。漫画の専門学校で何故かやる気のない生徒たちにやる気を出してもらおうと、講師としてやってきた漫画家が「漫画家になるとこんな良いことがある」という話をし出す。

「この業界で仕事をする一番の喜びはなんなんですか?」
「倒れるまでマンガを描きつづけられることだ! 毎日だよ、毎日! エブリディマンガを描ける! 一年中だ!」
(生徒にどん引きされる)
「もしかして、365日、毎日マンガばかり描くのはイヤだとでも…!?」

( 島本和彦 「吼えろペン」9巻 )

エンジニア同期の女の子から「誰とも話さずにずっとパソコン見てるの辛くない?」と聞かれているとき、口には出さなくとも頭の中では「(もしかして、365日、毎日コード書いたり技術系のことを調べたりのはイヤだとでも…!?)」という声が響いていた。

オッケー、現実を見よう。大半の企業においてエンジニア職にとっても技術は単に飯の種だ。年中それだけやっていられる魅力的なオモチャじゃない。彼らが資格を取るとか勉強をするのは純粋に待遇のためであるとか仕事を終わらせるためだ。それが面白いからじゃない。もちろん、少しは面白さも感じるだろうが、それは食玩についてくるガムとかラムネみたいなものだ。そもそも情報学部に進もうとか、エンジニアになろうとか、そういった判断からして割が良さそうだからとか他の仕事よりはマシだからだ。

それは問題だろうか

実際のところ、自分に取ってはもう既に大した問題じゃない。気安く相談が出来るマスターヨーダが何人かいて自分よりも遥かに優秀な素晴らしい後輩もいる。カルチャーショックからもだいぶ立ち直った。前は同期や後輩に技術への興味を持ってもらい一緒に学んだり話をしたいと思っていたが考えて見るに、これは単に迷惑だ。今まで書いて来たように根底の姿勢が違うのだ、それを自分に都合良く変えようとするのはおせっかいを通り越して自分勝手な態度である。ましてや「好きになるよう説教をする」など、何をかいわんや。


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